日記をつける

日々の記録

6/18(火)

 

 去年亡くなった母の散骨をしにいく。札幌から母の故郷、網走まで。朝6時、父親が家まで車で迎えに来る。二人で朝ごはんをセイコーマートで買う。おにぎり一つと野菜ジュース。道中の道の駅でソフトクリームを買おうとしたけど、まだ開店してなかった。母は必ず道の駅にくると、ソフトクリームが食べたい、と言っていたらしい。

 札幌から網走まで、交代で運転しながら4時間半くらい。雨予報だったけど、網走は晴れてた。網走手前の大空町で父とソフトクリームを食べた。大空町って名前、ダサくない?ダサいかもね、と話した。ベンチでは近所のおばさんたちが談笑してた。

 

 母は網走の山奥の家で生まれ育った。薪のストーブで暖をとり、井戸から組み上げた水を飲み、ボットン便所で用を足した。自分はそんな家が好きだった。でも母はその環境の閉鎖性と長女という立場が、しんどかったらしい。それで、札幌に出てきて、父と会って、結婚した。

 山奥の家に着く。もう家は数年前に取り壊して、古びた馬小屋と雑草が残されていた。もうなにもない場所だけど、家に着いたって感じがした。

 父と二人で、骨を埋めるために穴を掘る。スコップはなかったから、金槌で。父は母の骨を100均で買った向日葵の絵が描かれた、小さな缶に入れていた。穴に骨を埋めて、隣に母が好きだった向日葵2輪と白檀のお香を立てた。

 

 そのままオホーツク海の海岸に向かう。そこにも散骨。母は実家は嫌いだったけど、オホーツク海は好きだったらしい。オホーツク海には難破船があって、それは母の好きだった中森明菜のシングル「難破船」のモチーフだったんだぞ、と父が教えてくれる。そうなんだ。難破船は年々朽ち果てて、今はもう跡形もない。その難破船を見た記憶も自分にはない。母はきっと幼い頃見てた。自分の知らなかった母の断片が沢山ある。

 波打ち際の海の中に、骨を放り投げる。優しげな手つきでふわっとやるものだと思っていたけど、それは船の上からできることなんだな、と当たり前のことを思った。投げた骨は一瞬でそこらへんにある貝殻と見分けもつかなくなった。海岸にあった石を拾って持って帰る。

 

 網走道の駅で父と昼食。自分はカニ丼、父は帆立丼。ロコソラーレのポスターが貼っていて、「この人とこの人は、たしか結婚したんだよな」と父。昼食後、帰路に着く。ゴスペラーズの『ひとり』を父が好きだったので、Spotifyで流した。父が歌ってた。自分も少しだけ歌った。

 

 札幌に着いて、みよしので夜ご飯。父が母から「銭湯行くかい?」って言われたこと、なぜか忘れられないんだよなーと話してた。 自分は母と最後に話した言葉を思い出せない。父が今までの免許証をクリアファイルに律儀に、こっそり保存しているのを、二人で見てケラケラ笑ってた記憶はある。

 家まで送ってもらう。自転車の左ブレーキが壊れてることを話したら、見せてみろーと言われたので、見せる。「ワイヤーが伸び切ってる。自転車屋に行けば、すぐ直してもらえるぞ。」とのこと。次の休みに近所の自転車屋さんに行こうと思う。