日記をつける

日々の記録

6/27(木)〜6/30(日)

6/27(木)

 朝ごはんバナナ。仕事。何をしたか忘れた。昼ごはんは多分ゼリー。

 30分くらい残業して、職場の飲み会に。印刷した7月のシフトを机に忘れたので、取りに戻ると、課長と先輩がサイゼリヤのメニューで絶対頼むものを話していた。

 飲み会。韓国料理の店。飲み会の「会」がいらない感じで、同年代の6人でぐだぐだ飲む。4人はもう辞めたorもうそろ辞める。もはや職場の飲み会でもない。

 同僚のやりとりがアホみたいだった。「眼鏡外したら全然見えないんですよね?じゃあ今、私の黒目がどっち向いてるか分かりますか?」と言い、白目を剥く隣席同僚。「いやー分からない・・・って言うと思ったか!馬鹿にしてるだろ!というかいつも馬鹿にしてるだろ!」と眼鏡屋さんに転職した視力悪い同僚。今思い返すと、完全にからかい上手の高木さんだった。

 東豊線沿いの同僚と一緒に帰る。「てか東豊線最近うざくない?新幹線の工事やってて、上がるのもめんどいし、下がれない場所、勝手に増えたし!」みたいなことを言っていた。と書いていて、最近読んだ柴崎友香の『あらゆることは今起こる』の表紙を思い出す。どこかの駅で、エスカレーターに乗ってるどこかの誰かが、同じ方向に輸送されていく写真。

 工事のせいで地下鉄の駅に降りることがめんどいなと思って、「あ、ここから降りれますね」と話しながら一緒に降りた。多分これを書いて、1ヶ月後には忘れてる記憶。柴崎友香は、日々勝手に変わっていく街に残されている、その人自身すら忘れていく記憶の感覚を書いていく作家さんなのかなと思う。自分はそれができない。忘れてしまう。大切な記憶も、どうでもいい記憶も、等しく忘れてしまう。忘れたくない。

 

6/28(金)

 朝バナナ。仕事休み。倉下忠憲『すべてはノートからはじまる』を、ノートを用意して数ページ読み進める。一文字もノートに書かなかった。5分くらい読んでやめる。こういうことがよくある。読みやすそうな本を探して、坂口恭平『自分の薬をつくる』を読む。インプットできない状態を「あーだめだー」と捉えずに、アウトプットの時間と捉え直すこと。ご飯食べたらうんこするでしょ、当たり前のことじゃん、というさらりとした感じが好きだった。

 昼ごはん。何を食べたか忘れた。Netflixでドラマ『からかい上手の高木さん』を見終える。最終話、教室のベランダで高木さんと西片が話しているシークエンスがあまりにも綺麗で泣いた。高木さんはいつも笑っている。とても楽しそうに、寂しそうに笑う。小豆島に行きたい。

 18時、Twitterで知り合うことのできた方と飲みに行く。絶対に遅刻しないように絶妙に歩調を調整しながら、たどり着く。緊張してタバコを2本吸ってから、お店に入る。

 いらっしゃった。インターネットで自分が信じてる言葉を書いている人が、ほんとにいるんだ、と思ってびっくりした。けど、とても平静を装う。

 色々なことを、聞いて、話した。大切な感覚も、どうでもいいことも。普段は自分の感情や思っていることを話したり、必要以上に相手のことを聞くと、とても気恥ずかしくて「あーこんなこと言ってしまった・・・聞いてしまった・・・」となるんだけど、それがなかった。なかったことが、とても嬉しかった。装わなくて、よかった。

 その方が途中でトイレが外にあると思って、店外に出て行ったけど、店長が「店の中にトイレあるんですよ。みんな気づいて、いつもすぐ戻ってきますよ」と言われたけど、すぐ戻ってこなくて、記憶に残したいと思った。「カネコアヤノの蓄光キーホルダー、ライブで暗転したら光りました!」という言葉も、おしぼりが良い香りだったことも。

 

6/29(土)

 朝ごはんトマトジュース。仕事。ひたすら子どもにテストを受けさせる。ストレスフル3時間残業。隣の同僚がギャバ入りのチョコを買ってくれる。ビターとミルクどっちにしますか?って聞いてくれたので、ミルクにした。

 その後チョコまみれを買ってきて、同僚にあげた。あげたあとに「いつも後出しの善意になってる!」となって苦しくなる。先にあげたいと思う。

 

6/30(日)

 朝ごはんトマトジュース。足りないからおにぎりを二つ、ローソンに買いに行く。朝コンビニまで歩いていく。その時の日差しが、最近とても気持ち良い。

 父から連絡。お昼ごはんに蕎麦を食べに行く。二人とも海老天蕎麦。そのあと本を入れる木製でかめの器(なんだこの日本語)を探しに、セカストとニトリに。本棚はもういらなくて、りんご箱みたいなただの木の箱が欲しい。そんな箱はなかった。父は900円くらいの腹筋用の椅子を買おうとしていて、やめていた。

 帰宅後、Disney+『ムービング』を3話まで見る。主人公は嬉しくなると、その感情の昂りの分だけ、空中にどんどん浮いていく特殊能力を持っている。その能力は人間社会では異端で、「ない方がいい」ものとしてみなされる。母親が喜んでいるのを見ると、主人公は嬉しくて、浮いていく。だから母親は、自分の喜びを抑制する。それでも嬉しくて、息子を抱きしめて、二人で浮いていく。そんなシーンがあって、胸が詰まる。

6/21(金)

 朝ごはんバナナ。仕事。先日「偉そうな人が来てますね」と子どもが言っていた。偉いと、偉そうの違いって、直感で分かるんだろうか。そもそも偉いって何ですか。

 昼ごはん、サンドイッチとおいしい牛乳。専務理事の10分くらいの話をiPadで見ろとのこと。「これ、なんか意味あること言ってた?」とお局No.2くらいの同僚が言ってて、どストレートで素敵だった。何も意味のあることは言ってなかった。

 隣の同僚が毎日面白くて、愛おしい。「ここ・・こ・・こ・・・・・」と隣でぶつぶつ言っているので、「ここ・・こ・・・って口から漏れてますけど、大丈夫ですか?」って聞いたら「相談って言葉が、思い出せなくて・・ここ・・こここーって完全にエド・はるみですね・・古いですかね・・」と返されて、隣にいてくれてありがとうと思った。 

 少し残業して帰る。『上坂あゆ美の「私より先に丁寧に暮らすな」』を最近帰り道でずっと聞いてる。夜ごはんはセブンイレブンの緑色の冷製パスタ。

6/19(水)

 仕事。朝ごはんバナナ。晴れ。Twitterで話題になっていたキューピーコーワヒーリングを飲んでみて、寝起きのだるさが心なしか薄れている、気がする。大体こういうものは、気がする、が大切なんですね。

 今日は組織のトップの方が会社に来るとのこと。「身の回りをちゃんと整理整頓してください!!」と大真面目に小学生のようなメールが回っている。整理整頓はしなかった。

 夕方トップの方、降臨。応接室で何を飲むか分からないから、上司が事前に飲み物の準備をしていた。「カフェオレ、お茶、アイスコーヒー、ホットコーヒー、どれでもいけるように」とのこと。お茶出しって自分で勝手に持っていくスタイルの方が、お互いにwin-winだと思う。

 飲み物、カタカタカタって震えながら持っていって、あー!すいませんー!バシャー!あー!ってなってほしいですね!と笑いながら同僚と話す。あまりにも幼稚でありふれた会話なのに、楽しい。みんな頑張って大人に擬態している。みんなめっちゃ頑張ってるんだ。

 社内をトップの方が練り回っている様子を、同僚とモニターを見つめる。全く整理整頓していない、ゴミ置き場みたいな部屋があることに皆気づき「ここは絶対見るなよ・・・早く帰れ・・・」と言っていたら、案の定トップが侵入していく。「あー完全にやばいですね。これはやばいですねー。」と言い合っていたけど、社内を案内していた上司がどうやら入口付近で堰き止めた様子。皆安堵。

 あとは、なんかあったか。仕事中に綾鷹を飲んで、「甘い!美味しい!」ってなった。それと朝一、学生がカバンの中で水をこぼしたらしく、ベショベショになったテキストとプリント乾かしてくださいと窓口に来たので、天日干しする。テキストは微妙だったけど、プリントは乾いた。「良い味出てるよ」と言ったら「そんな味いらないです」と笑顔で返された。天日干しっていい言葉だ。

 ほぼ定時で帰る。帰り道に紀伊國屋で鳥さんの瞼『死のやわらかい』を買った。

6/18(火)

 

 去年亡くなった母の散骨をしにいく。札幌から母の故郷、網走まで。朝6時、父親が家まで車で迎えに来る。二人で朝ごはんをセイコーマートで買う。おにぎり一つと野菜ジュース。道中の道の駅でソフトクリームを買おうとしたけど、まだ開店してなかった。母は必ず道の駅にくると、ソフトクリームが食べたい、と言っていたらしい。

 札幌から網走まで、交代で運転しながら4時間半くらい。雨予報だったけど、網走は晴れてた。網走手前の大空町で父とソフトクリームを食べた。大空町って名前、ダサくない?ダサいかもね、と話した。ベンチでは近所のおばさんたちが談笑してた。

 

 母は網走の山奥の家で生まれ育った。薪のストーブで暖をとり、井戸から組み上げた水を飲み、ボットン便所で用を足した。自分はそんな家が好きだった。でも母はその環境の閉鎖性と長女という立場が、しんどかったらしい。それで、札幌に出てきて、父と会って、結婚した。

 山奥の家に着く。もう家は数年前に取り壊して、古びた馬小屋と雑草が残されていた。もうなにもない場所だけど、家に着いたって感じがした。

 父と二人で、骨を埋めるために穴を掘る。スコップはなかったから、金槌で。父は母の骨を100均で買った向日葵の絵が描かれた、小さな缶に入れていた。穴に骨を埋めて、隣に母が好きだった向日葵2輪と白檀のお香を立てた。

 

 そのままオホーツク海の海岸に向かう。そこにも散骨。母は実家は嫌いだったけど、オホーツク海は好きだったらしい。オホーツク海には難破船があって、それは母の好きだった中森明菜のシングル「難破船」のモチーフだったんだぞ、と父が教えてくれる。そうなんだ。難破船は年々朽ち果てて、今はもう跡形もない。その難破船を見た記憶も自分にはない。母はきっと幼い頃見てた。自分の知らなかった母の断片が沢山ある。

 波打ち際の海の中に、骨を放り投げる。優しげな手つきでふわっとやるものだと思っていたけど、それは船の上からできることなんだな、と当たり前のことを思った。投げた骨は一瞬でそこらへんにある貝殻と見分けもつかなくなった。海岸にあった石を拾って持って帰る。

 

 網走道の駅で父と昼食。自分はカニ丼、父は帆立丼。ロコソラーレのポスターが貼っていて、「この人とこの人は、たしか結婚したんだよな」と父。昼食後、帰路に着く。ゴスペラーズの『ひとり』を父が好きだったので、Spotifyで流した。父が歌ってた。自分も少しだけ歌った。

 

 札幌に着いて、みよしので夜ご飯。父が母から「銭湯行くかい?」って言われたこと、なぜか忘れられないんだよなーと話してた。 自分は母と最後に話した言葉を思い出せない。父が今までの免許証をクリアファイルに律儀に、こっそり保存しているのを、二人で見てケラケラ笑ってた記憶はある。

 家まで送ってもらう。自転車の左ブレーキが壊れてることを話したら、見せてみろーと言われたので、見せる。「ワイヤーが伸び切ってる。自転車屋に行けば、すぐ直してもらえるぞ。」とのこと。次の休みに近所の自転車屋さんに行こうと思う。

6/16(日)

 仕事。朝ごはんバナナ。仕事に行く途中、外国の方に駅の場所を聞かれる。「えーダウンステー、あーライトウォーキング、イエス!ワンステーション!」と悲惨な英語力を駆使。伝わればいい。

 終日学生にテストを受けさせる、みたいな業務。「今日、雨降りなんですね」「えーやだー」「止みましたね」「えーさいこー」みたいな会話をした。昼ごはんは、おにぎり二つ。上司が六花亭でどら焼きとブルーベリーの入った洋菓子をくれたので、ありがたく、いただく。ありがたい。

 アルバイトの子にも、どら焼きを配ってて。「どら焼きはいつも安定した美味しさだからね」と上司。アルバイトの子が「今から安定して、食べてきます!休憩入ります!!」と溌剌に謎の返答をしていて、嬉しかった。

 どら焼き、実家のような美味しさだ、と書こうと思ったけど、実家はあまり安定してなかったので違うな。自分にとって安定の原風景ってなんなんだろう。ベイブレードのビョーンと飛び跳ねるやつ。64のスマブラ、カービーが石になって落ちる攻撃。草多めの公園。茗荷谷の図書館。徳島の空気。

 帰り道、家電屋さんでCDラジカセを見る。家主『石のような自由』とカネコアヤノ『祝祭』をどうしてもCDで聞きたい。買わずに帰る。

 帰宅後、ザボーイズのシーズン4を見始めるも、登場人物多すぎて。あー頭が混乱すんなーとなり見るのをやめた。アマプラで『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』を見て寝ます。

6/9(日)

 仕事休み。8時頃起床しバナナを食べる。少しぼーっとして10時から美容室へ。町田康の『宇治拾遺物語』を読みながら、パーマとカット。

 軽やかな下品さと町田文体に吹き出しそうになりながら、なんとか耐える。鎌倉時代の名もなき人たち、こんな面白い物語創作してたのか。

 セブンイレブンでチャーハンを買う。家にあったトマトジュースで昼ごはん。食べ終わったあと、ビックカメラにオブジェと化していたPS5を売りに行く。バイオだけやった。エルデンリングもゴーストオブツシマもデスストもホグワーツも、私にとってはあまりにも長い旅路でした。(それぞれの旅は1時間くらいで終わった)いつかドラクエ12はやりたい。また会いましょう。

 PS5とソフトを売ったら4万7千円ほどに。そのお金を握りしめ、ビックカメラを1時間くらい彷徨いたけど、何一つ欲しいものがなくて88円のミンティアを1つ買って退店。

 その後ヘアワックスを買いに札幌駅に。イソップ隣の雑貨屋さんに良い香りのものがあったので買う。いちじくの香り。なるべく無臭でいたいけど、好きな香りも纏いたい。店員さんも優しかった。チューブからワックスがドバッと溢れてしまい、あれまーとか言いながらティッシュをくれてありがとうございます。イソップは加工されたギラギラした上品さみたいな感じがとても苦手です。

 その後ジュンク堂まで徒歩で行き、カフェで熊代亨『人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造』を少し読む。その間にiPhoneの電源が切れて、少し落ち着くと同時に、買い替えるか、とも思う。数店舗周りiPhone見るけど、高すぎだ〜。

 帰宅後『寄生獣 -ザ・グレイ-』見た。爽やかに人の首がポンポンもげていくアクションシーンだけでも、もっとやってくれー!と思いながら見ていた。「望もうと望むまいとお前は独りじゃない」という最終話の言葉は、希望と絶望を内包していて良かった。

 それはみんなで一緒に頑張ってこ!みたいな無思考なものではなく。過去・未来の自分。亡くなった人。これから生まれる人。そして人以外の生命。自然。宇宙。あらゆることが連鎖して、最高なことも最悪なことも起こっていく世界を「独り」で生きていくことなんて、どだい無理な話でしょう、ってことなんだろうか。

 明日は仕事。スイカゲームをやって寝る。

6/7(金)

 仕事。朝ごはんバナナ。朝のモーニングルーティンに「地元のローカルニュースを聞く」を入れていきたい。どうでもいいニュースを沢山聞きたい。

 仕事中、インスタに投稿する動画の文字入れで困っている同僚。「ここ何言っているか分かります?」と言われ、一緒に見る。確かに何言ってるのか絶妙に分からない滑舌。

 

自分「すごい椎茸。いや絶対違いますけど」

同僚「意味わかんないですね。でもサ行は合ってる。」

上司1「すごい死にたくなる、ではないか・・?これはそう言ってるに違いない」

同僚・自分「これはインスタは無理では・・・」

上司2「すごい頻度が高い、が内容的には合ってそうだけど?」

バイト「いや、これはすごい敷居が高い、ですね。関西弁分かるんで、間違いないっす」

全員「はえー、じゃあそれだ!!」

 

 平和な会話だった。ずっとこんな会話でいい。