日記

日々の記録

9月19日(月)

 数ヶ月前、新しい住居に引っ越すに伴い、数年ぶりにしっかりとした大画面のテレビを買った。「しっかりとした」と書いたのは、東京に住んでいた頃にプライベートビエラというお風呂やキッチンで使うためのタブレットのように小さいテレビを買っていたからだ。

 結局そのプライベートビエラも1ヶ月に数度電源を入れて数分で消すという悲しい役割を担わせてしまい、今ではクローゼットの奥底で眠っている。(メルカリで売ろうかなと思っているけれど、売るまでの過程が果てしなくめんどくさい)

 数ヶ月経った今、大画面のテレビはどうなっているか。1ヶ月に数度電源を入れて数分で消される、という役割を再び担ってしまっている。なんということだ。歴史は繰り返される。大画面でNetflixアマゾンプライムを楽しみ、久しく視聴していなかったテレビ番組も見てみようと、意気揚々と家電屋さんで買った気概はどこへ消えた。

 結局Netflixアマゾンプライムipadやパソコンで見ているし、気になるテレビ番組はTverで見ている。テレビのない生活を送っていた頃と同じ行動様式だ。

 それでも買ったことにあまり後悔はしていない。部屋という空間にテレビがあることに安心感を覚えるからだ。ひとりで悶々としている時、配信サービスで物語を追う気力がない時、テレビを点ける。「ああ、誰かが何かを喋ってる」と安心して数分後には「うるさいな」と思い、電源を落とす。こんな雑な使い方でも許してほしい。我が家にきたことを後悔してませんように、と無機物に対して祈ってみる。