日記

日々の記録

3/9(木)

 7時頃起床。二度寝をして12時頃ベッドから起き上がり、朝食にバナナとホットココア。なんとなく体調が良い。最近は春がもうすぐ側にあるという安心感がある。毎年訪れるお守りみたいな季節だ。

 起き抜けにノア・バームバック監督「ホワイトノイズ」(Netflix)を観た。事故により地域に化学物質が流出して、家族総出で慌てふためく序盤のポップな様子を眺めて「リトルミスサンシャイン」を想起。「不安から希望」へ価値観を転換させる展開は見ていて爽快だった。不安を煽ってくる社会に対して、その不安を自らが解釈し受容した上で「自分だけの希望」を地道に構築していく。それは周りにいる家族であったり友人であったり風景だったりする。ラストの「自分だけの希望をでっちあげろ」というセリフが最高にきまっていた。

 

 観終わりコンビニでサラダとおにぎり二つを買ってきて、帰宅。しばし横になり明日職場に制服を返しに行く時間などをぼんやりと決めておく。

 その後Yotubeで短編ドキュメンタリー「HAULOUT」を観る。今年のアカデミー賞短編部門にノミネートされているらしい。茫漠とした大陸に大量のセイウチがひしめき合い、互いが互いを圧死させていく光景は衝撃的だったし、それは地球温暖化によってセイウチの生態系を崩していることによって引き起こされているものだというエンディングの言葉は重かった。地球温暖化について調べてみたけれど結局人間の都合の良い解釈で提示された情報しか見当たらず、インターネットだけで真実は見つからないよな、と実感した。

 続けてNetflix「スタッツ: 人生を好転させるツール」を観る。コメディ俳優のジョナヒル精神科医のフィルスタッツが対話を通じて、カウンセリングの効用を互いに実感していく作品。認知行動療法的な思考法が具体的に提示されていて、気になるところをメモしながら見終えた。不安障害を抱えるジョナヒルの経験を、押し付けではなくあくまで「ツール」として誰かに伝えようと営みはとても誠実だと思った。使うか使わないかは、観る人に委ねられている。以下、特に印象に残った部分。

痛み・不確実性・継続的な努力は生きている間、逃れることはできない

・自分の無意識にあることは、外在化(書く)することで見えてくる

・次の真珠に穴を通す(真珠とはあらゆる事象の喩え)

・自分の影(認めたくない、取り除けない部分)を否定しない

・不確実性の中で生き続け、その渦中で健全な自尊心を保つ(むずい)

・何かを追い求め、それを手放せること(むずい)

 

 両目さんのはぐれラジオ純情派117話を聴きながら、夕方近所のスーパーで買い物。たわいない日常の話を永遠に聞いていたい。帰宅後、夕食。村上春樹河合隼雄の対談集を今日中に読み終えたい。

2/1(水)〜2/19(日)

2/1(水)〜2/3(金)

 仕事

 

2/4(土)

 休み。アマゾンで抽選に申し込んでいたPS5が当選し、午前中ようやく届いた。早速ゴーストオブツシマとデスストランディングを購入。

 夕方から最初の勤務地で一緒に働いていた同僚たちと飲み会。と言ってもいざ行ってみると半分以上が全く知らない人で、「この人はどのくらいの役職で、どんな雰囲気なのか」的情報を世間話の中から手探りで収集するところからスタート。

 色恋沙汰、人事異動、仕事の愚痴。こういう「THE職場の飲み会」みたいな話題も良いもんだと思える年齢になってきた。こうやって日々の労働をエンタメに変換して他者と共有することで、人はなんとか精神の均衡を保てる。職場の飲み会は、一種のセラピーなんだ。

 

2/5(日)

 休み。アマプラで「エルピス —希望、あるいは災い—」を一気見した。物語はある冤罪事件の真相を明らかにしていく、という軸を中心にして進んでいくんだけど、毎話ボルテージを増していく。

 最終話で浅川さんから迸る言葉は、エルピスの骨子であり、文字通り希望と災い。

正義を振りかざすとき、それは本当の正義たり得ているのかと常に内省しなければ、正義はいとも簡単に暴力や悪に変容していく。そして暴力や悪は、いつだって正義面している。

 

「なんで。なんでなのよ。自分の仕事を、ちゃんとやりたいだけじゃん。何の罪もない人がこれ以上犠牲になるのを見ていたくないだけじゃん。1人の人間としてまともに生きたいだけじゃん。何にも無茶なこと望んでない。当たり前の人間の普通の願いが、どうしてこんなにも奪われ続けなければいけないのよ。こんなにも心の中の一番大事なものを押しつぶされながら、どうやって生きていけばいいんだよ。どうやって希望を持てばいいんだよ。」

 

 あと仕事をしていく上でのサバイバルブックに載せてほしい、身も蓋もない浅川さんの言葉。めちゃくちゃ笑ったけれど、いつかそういう歳になったときの自分がそういう人間になってたら怖いなあ、と今から自戒しておく。

 

「おじさん達のメンツとプライドは地雷なの!死んでも踏まないように歩かないといけないんだよ!

 

2/6(月)

 仕事終わりに父親と共に叔父の家に行く。叔母がくも膜下で倒れて以降、中々会えずにいたけれど少しでも話をする相手にもなれればと思っていた。

 叔母の容体が想定以上に良くないもので、今後どの程度回復するかも見通しがつかないという話を聞き、自分はただ聞くことだけしかできず、こういったとき人は人をどう励ましたらいいんだろうか、そもそも「励ます」なんてことは可能なんだろうかと自分の無力さを実感した。ただ聞いて、ただ一緒に居て。そんなとき思いつく言葉は、ありきたりで、口から出せば全てが嘘になってしまうような気がして。それでも同じ空間で過ごすことに何らかの意味があってほしい。いつかその意味を言葉にして伝えることができるようになりたい。

 

2/7(火)

 仕事。アマプラでドラマ「前科者」を観て、有村架純の演技に唸る。「犯罪者」というレッテルを剥がして「その人自身」を見つめようとする営みに心打たれた。

 

2/8(水)

 休み。ゴーストオブツシマを一日中やってた。三国無双よろしく殺戮に全精力を注いでいたため、本来嗜むべき物語や風景の美しさが心に全く残っていない。主人公がただ殺戮を繰り返すマシーンになってしまっている。

 

2/8(水)〜2/10(金)

 仕事。マスクをした状態がデフォルトになってるせいで、普段接している同僚の素顔を見ると、「え!」と新鮮な気持ちになる瞬間がある。顔全体の知覚の仕方が変わってきているんだな。

 

2/11(土)

 仕事終わりに、劇場でチャゼル監督の「バビロン」。観るドラッグ、みたいな映画だった。ラストのシークエンスは完全に映像の暴力で、泣いてたまるかと思いながら泣いていた。好きでもないし、嫌いにもなれない。チャゼルは夢追い人の破滅を描きたがるけれど、夢を追うことを否定もしていないような気がしている。

 

2/12(日)〜2/19(日)

 箇条書きで記録。

 

・転職先の内定を受諾して、上司に退職の意向を伝えた。不安あれど後悔なし。

 

・U-NEXTで映画「こちらあみ子」を観た。あみ子だけが見える景色、聞こえる音、発することができる言葉。それはこの世界で「正しくないこと」として疎外される。あみ子がトランシーバーを経由して発する「応答せよ、こちらあみ子」に誰も応答しないディストピアなんてまっぴらごめんだ。

 

・映画「前科者」で泣きながらラーメンを啜る有村架純をみて、カルテットの「泣きながらご飯を食べたことがある人は生きていけます」というセリフを思い出す。

 

・アマプラで映画「夜を走る」を観た。息詰まる日常は誰かにとっての幸福かもしれないし、そもそも幸福なんてものは幻想なのかもしれない。ありえたかもしれない人生。今の人生。停滞した今に風穴を開けるためには、狂うことは一つの方策ではあるけれど、そんな安直な答えは提示されていないように感じた。

 

・書店に行き、ハンガン「すべての、白いものたちの」、フロム「愛するということ」を購入。岸本佐知子の文庫等も買い直す。

 

・U-NEXTで「THE LAST OF US」を最新話まで観た。ブレイキングバッドを観ていたときと似た高揚感だ。特に3話と5話。今年観たコンテンツの中で、今のところぶっち切りの作品だ。3話は「ゾンビドラマのたった1話」でこれまで誠実な愛を描けるのかと感嘆してしまった。

 5話。ラストオブアスの根幹を描いている話だと思った。自己愛と他者愛が円環する物語。自己愛や他者愛は自分や他者を殺したり生かしたりする。その線引きはいつだって不明瞭だ。その不明瞭な線の上でもがきながら、自分と他者への愛が「誰かを生かす」ことに繋がる瞬間が一瞬でもあれば、こんな酷い世界でも這いつくばって生きていける。

 

益田ミリの本を沢山買った。諦観と楽観のバランス感覚が素晴らしい作家さんだと思う。「あたしの一生懸命は、あたしという人間の役に立ったのかな」なんて言葉がさらりと出てくるあたりが怖い。怖さゆえ、信頼して読むことができる。

 

・家族で焼肉を食べに行った。父は昔から「美味いか?」と毎回聞く癖があって、それに対して自分はずっと「美味しさを強要すんなよ」という幼稚で反抗期的な感情が捨て切れずに「まあ普通かな」とスカした返事しかしてこなかった。だけど最近は「確かに美味いね」と返すようになった。

 

今日マチ子の「2023年2月19日、それでも私はがんばってみようと思う」というツイートを見て泣きそうになる。

1/15(日)〜1/31(火)

1/15(日)

 幼馴染が紹介してくれた近所の花屋さんへ向かう。お店の方と話が弾み、知り合いの写真家の個展がやってることを教えてくれる。発色が綺麗なミモザと一輪挿しの花瓶を購入。一輪挿し用と玄関に飾れる束状の2つに分けてくれたので、各々飾る。

 紹介してくれた個展に向かう。 iPhone8で全て撮影したと受付の人が言っていた動画作品が素晴らしかった。日常を切り取ってランダムに繋ぎ合わせたような映像。コーヒーとミルクが混ざり、雲が流れ、謎の模様が裁縫され、紫陽花が咲き、YUKIが歌っていた。岸政彦の『断片的なものの社会学』を思い出しながら帰った。

 

いつも私の頭の片隅にあるのは、私たちの無意味な人生が、自分には全く知りえないどこか遠い、高いところで、誰かにとって意味があるのかもしれない、ということだ。

 帰宅後ディズニープラスで「プレデター・ザプレイ」を観た。

 

1/17(火)

 仕事。面接を受けていた企業から内定の電話をいただいた。仕事帰りにスープカレーを食べ、三省堂藤本タツキの短編集2冊とルックバックを購入。

 

1/18(水)

 休み。カネコアヤノの武道館ライブをwowowで観た。インスタのカネコアヤノのメッセージが凝縮されたようなライブだった。

 

なにもわからないままでいいのかも、と最近は考えます。歌を作るのも、うたうのも、暮らしていくことも、感情の起伏も。

流れに身を任せたり考え込んだり不安で押しつぶされそうになったりするけど、好きなことと嫌いなことがハッキリしていれば迷子じゃない、それでいいのかなと思います。

私は今の自分の音楽が大好き。

 

1/19(木)〜1/31(火)

記憶に残っているものを断片的に残す。

 

・岡本真帆「水上バス浅草行き」。久しぶりに自分の感性にジャストフィットする短歌集を読めて、読んでいる間ずっと幸せだった。

Netflix舞妓さんちのまかないさん」。生活にひっそりと灯る光を丁寧に掬い上げていくような物語だった。

・同僚にKindle講談社文芸文庫セールをやっていることを教えてもらう。古井由吉「水」等、数冊買う。

・「川っぺりムコリッタ」を観る。世界には小さな幸せ一杯あるよ〜だから生きていこうね〜という安易なポジティブさではなく「世界は残酷だから、小さな幸せ見つけていかないと生きていけない」という切実さ。

・劇場で「イニシェリン島の精霊」を観た。「知性のカーストを描いた映画だ」というツイートを見て、なるほどなと思った。

・「スキップとローファー」8巻、涙腺ズタズタにされながら読み終えた。こんなにも誠実な物語があっていいのだろうか。岩倉美津未の世界に対する真っ直ぐな眼差しは、ひよっこの谷田部みね子を彷彿させる。

1月9日(月)~1月14日(土)

1月9日(月)

 休み。阿部和重「ブラック・チェンバー・ミュージック」を読み終える。暴力と愛の物語、素晴らしかった。街の片隅にある相合傘の落書き。その一つ一つに掛け替えのない物語がある。

 夕方ヨドバシカメラに赴くもPS5は売り切れ。毎度PS5の売り切れを見届ける度に、「PS5を買わなかった分お金が浮いたんだ」と身勝手な自己暗示をかけ、ちまちまと買い物をしている。そのうちPS5分のお金を知らぬ間に使っているんだろうな。

 案の定紀伊國屋に立ち寄り、岡本真帆「水上バス浅草行き」を買う。燃え殻さんと二村さんのラジオ「夜のまたたび」を聴きながらカキフライ定食を食べ帰宅。帰宅後「このテープもってないですか?」をTVerで観る。「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」は理解できる不穏さを楽しめたけど、今回は理解不能な不穏さ。サブリミナル的に差し込まれる狂気がじわじわと番組全体を侵食していく構図が怖すぎた。

 

1月10日(火)

 仕事。

 

1月11日(水)

 休み。転職活動の面接のため、面接前日に東京へ前乗り。11時35分発、13時20分羽田着。予約した水道橋のホテルに向かう。宿につき荷物を下ろしたあと、後楽園周辺をフラフラと彷徨う。後楽園は東京に住んでいた頃、近所だったこともあり用もなく頻繁に行っていた。懐かしさでも感じるのかなと思っていたけれど、「ああ、よく行ってたな」くらいの熱量の低さ。東京に対する郷愁を抱けるほど、自分は東京に強い愛着や執着を感じることができなかったのかもしれない。

 後楽園のサイゼリヤでハンバーグ、ライス小、ほうれん草のソテーなどを食べ、コンビニで夜食を買いホテルに戻る。ホテルのフロントで大浴場の案内があったが、部屋のシャワーで済ませる。こういう時に「ホテルに大浴場があったら絶対入る」という習慣がある人を羨ましく思う。ほんの少し好奇心が、ほんの少しの思い出を蓄積していくのだから。面接対策を少しした後、ガンニバル4話を見て就寝。

 

1月12日(木)

 11時チェックアウト。面接までの時間を潰すため、水道橋のドトールへ。ミラノサンドアメリカン。Youtubeで「君なら最終面接に受かる」的な動画を流しながら、タバコを大量に吸い面接時間を待つ。

 昼頃、面接会場へ。最終面接とは思えない「新卒面接かと勘違いしてるのか?」と感じる質問ばかりでさして手応えもなく終了。とりあえずよくやったよ、と自分を慰めながら帰路へ。帰りの飛行機でダウンロードしておいた「舞子さんちのまかないや」を2話まで観る。澄み切った映像と物語は、面接終わりの心に沁みた。森七菜演じるキヨが山道をひたすらに登っていくシーンに挟み込まれる、親友すみれのセリフに泣いてしまった。

「キヨちゃんは子供の頃から、かけっこも食べんのも泳ぐのも一番遅くて。でも途中で投げ出したことは一度もないんどす。給食も6時間目までかかっても必ず食べるし、水泳もどんなに遅くても最後まで絶対に足をつかないんどす。そういう子なんどす。」

 

1月13日(金)

 仕事。「舞子さんちのまかないや」を4話まで観る。

 

1月14日(土)

 仕事。職場の先輩から家庭の話を聞くと、仕事と家庭を両立する心のキャパに感嘆してしまう。帰宅後に1人の空間、絶対必要だ。

 帰宅後、前の職場の人たちとZoom飲み。といってもZoom参加は自分だけで、他の人たちは結婚した後に建てた新居で人生ゲームをやっている最中で、「ほんとの人生ゲームですなあ」などと思う。仕事の話、未来の話をポツポツとする。

1月6日(金)~1月8日(日)

1月6日(金)

 仕事。朝8時頃起床し、バナナと白湯。仕事帰りに立ち食い蕎麦屋で卵天ぷら蕎麦を食べる。

 帰宅後アマプラで「マイ・ブロークン・マリコ」を観る。親友を自死で亡くした主人公が「あんたの綺麗な記憶しか残らなくなるんだよ」と憤るシーンが心に刺さる。二村さんと燃え殻さんのラジオ「夜のまたたび」で葬式で感じる違和感について話していたこととリンク。葬式では故人は美化され、何もかもやり尽くした「聖人」かのように語られるが、本当は人に言えないような欲望や過去に行ったとんでもない過ちだってある。そんな複雑な個人の人生が「死」というファクターを通じて定型的な人生に勝手に修正され、いつの間にか「綺麗な人だった」という郷愁みたいなものに回収されていく。それってほんとに正しいんですかね。いや全然正しくないでしょ、と思う。もっとグシャっとした生身の記憶。それを忘れないようにしていくにはどうしたらいいんだろうか。

 深夜どうにもならない感情を抱えたままカップ麺に湯を注ぎ、ただ立ち上がっては消えていく湯気を見つめていた。

 

1月7日(土)

 朝9時頃起床し、バナナ。阿部和重「ブラック・チェンバー・ミュージック」を半分くらいまで読み進める。コンビニでおにぎりと野菜ジュースを買い、家で食す。

 ブックオフに行き、向田邦子「思い出トランプ」田島列島子供はわかってあげない」を救出。その後ジュンク堂に立ち寄り、今日マチ子「Essential わたしの#stayhome日記 2021-2022」を購入。

 ドトールで一休みした後、雑貨屋に行き小さな置き時計と宮崎夏次系「宮崎夏次系傑作選 なんかいつかの魔法」を購入。購入の連打により、ポケットモンスター売却益を失う。帰宅後、以前参列した友人の結婚式の内祝いカタログが届いていたので、嬉しいな嬉しいなと思いながら眺めていた。

 その後「宮崎夏次系傑作選 なんかいつかの魔法」を読み、毎話涙腺がガバガバになる。今までの作品のエッセンスを凝縮した一冊だった。宮崎夏次系が描く物語は魔法だ。その魔法は、苦しいなと思いながら、それでも何とか生きていて「社会やってらんないよ・・・」と感じているときには尚更響く。それでいて社会に適応できないことを絶対に「弱さ」で片付けない強い意志を感じる。そのバランス感覚と物語の発想。本当に一生追っていきたい作家さんだ。

 

1月8日(日)

 3時に目覚める。5時、明け切っていない空を眺めながらコンビニに行き、朝ごはんとしてナポリタンときゅうりの漬物を買う。ナポリタンはNetflix「First Love 初恋」で満島ひかりが美味しそうに食べていたから。満島ひかりナポリタンを食べていれば、食べるしかない。そういうものだ。

 映画は2本観た。1本目「ガンパウダー・ミルクシェイク」。B級映画を意識したB級映画といった感じで、アクションシーンは最高だったんだけれど、あまりにも表層的なフェミニズム描写には疑問符。2本目「私ときどきレッサーパンダ」。こちらは傑作。「抑圧されたまま生きてていいの?私は好きなことやってくよ!!」というラストのシンプルかつ普遍的なメッセージが明確と物語と結びついていたし、「抑圧のされ方」もそれぞれの登場人物毎に丁寧に描き出されていた。

1月1日(日)~1月5日(木)

1月1日(日)

 網走の祖母宅。あまりにも寒く4時頃に目が覚めたが、既に祖母と父は起きており「早くお嫁さんの顔が見たいわね」「そうですな」などと起き抜けから会話を繰り広げていたので、しばし様子見をして7時頃再度起床。こちらの人生はこちらで決めます。雑煮とオードブルを食べ、昼頃に網走を去る。帰り際、祖母が毎日飲まなきゃならぬ薬を全然飲んでいなかったので「毎日飲んでおくれ」と伝える。優しさに擬態した自己満足な言葉だな、と思いつつも伝えないといけないことは伝えなければならない。

 昼はコンビニのおにぎり2つ。父と2人で札幌に向けて車で帰る。道すがら父親が単身赴任で住んでいるマンションの部屋を見せてもらった。部屋の様子が「男一人暮らしのある程度片付いた部屋」という感じで、自分の部屋を見せられているようだった。そこにある父親の生活の跡を記録に残したかったけど、あまり覚えていない。トイレきれいにしてたな。

 16時頃「三笠 太古の湯」に立ち寄る。久しぶりの温泉。風呂から上がり意気揚々といちごミルクなんて飲んだりして有頂天な気持ちでいたのも束の間。スマホを失くしていることに気づく。一瞬でテンションが地の底に落ち、店員さんに父親の電話番号を託して虚脱しながら札幌の実家へ。実家について数分で「スマホ見つかりました」の報あり。急ぎ父と温泉に戻り無事回収。

 東畑開人「聞く技術 聞いてもらう技術」を読み終える。

 

1月2日(月)

 6時頃起床。仕事始め。ほとんどやることがなく業務のマニュアル作成などをして終了。帰りの地下鉄で股を大きく広げて席を占領しているツーブロックロングコート野郎を発見。矮小な正義感が湧き出し、無理矢理座る。

 帰宅後に東京時代の先輩に明けましておめでとうございますとLINEを送ったら「何か用か豚野郎」という誤送信のスタンプが返ってきて今年の初笑い。

 

1月3日(火)

 休み。6時頃起床しバナナと白湯。Disney+「ガンニバル」2話まで観る。片山慎三監督作品なので期待していたが期待通りのカオス感。宗教と暴力は切っても切り離せない繋がりがある。書店で井戸川射子「ここはとても速い川」乗代雄介「最高の任務」を買う。

 

1月4日(水)

 仕事。正月の名残みたいな空気で平和な1日だった。「こんな日が永遠に続けばいいっすね」などと話していた。仕事終わりに金子眼鏡店で眼鏡の調整。ビックカメラで録画用のハードディスクを買い帰宅。帰宅後、テレビ台の歪みを直す。

 

1月5日(木)

 仕事。昼食の際、毎日ゆで卵を買っているのだが売り切れ。店員のおばさまに「ゆで卵売り切れちゃったのよ。ゆで卵の美味しさに目覚めた人が多いのかしら」などと話しかけられ、「ゆで卵を毎日買っていく人」と認知されているんだなと自覚。買わせてください、ゆで卵。

 夜ご飯、牛ハヤシライス。帰り道に雪で埋もれた点字ブロックを見て、視覚障害を持つ人たちは雪道をどう乗り越えているんだろうかと考える。

 帰宅後トッテナムVSクリスタルパレスを観戦。久しぶりの快勝。その後アマプラで「相席食堂」シーズン6の1話。ATSUSHIが酒に弱いというくだりだけでも最高。 

12月30日(金)

 晴れ、ときどき雪。朝6時頃起床。白湯を飲みながら8時頃まで布団の中で過ごした後起き上がりバナナを一本食べる。

 衝動買いしたインスタントカメラ「instax mini Evo」を一刻も早く使用せねばという欲望が湧き出てきたので、図書館で借りていた本2冊を返却するために外へ出る。カメラの力は偉大なもので、何気ない風景を全て切り取りたくなる。図書館にたどり着くまでに何枚も撮っては見返しての繰り返し。こういう能動的な行為は、シンプルに楽しい。赤い実をつけた木を撮ったけど名前が分からない。ナナカマドでいいのだろうか。(返したのは谷川俊太郎「幸せについて」と長江俊和「出版禁止 いやしの村滞在記」)

 本を返却した後、網走に住む祖母宅への訪問に備えて無印良品へ。衣類クリーナーを買おうとしたけれど、あまりの行列に「行列に並んでほど買いたくもないな」という気持ちが優ったので早々に退散。行列に並んでまで買いたいものに出会いたい。

 その後ドトールに寄り、アメリカン。植本一子・滝口悠生共著「往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ」を読み終えた。2人の間で交わされる言葉のやりとりが、タイトル通り花を送り合っているようで心洗われる。写真家と小説家という2人が成せる記録。写真も日記も忘れてしまったことを思い出すトリガーとして大切なものなんだなと実感する。滝口悠生の言葉が心に残る。

心細いひとがやって来たら迎えられる家でありたいと思っているし、そんな思いがけない出来事を迎え入れられる人生でありたいと、僕も、たぶん妻も、思ってます。

 帰宅後、アマゾンプライムで「ラスト・クリスマス」を観る。ただの凡庸ラブストーリーでしょ?とウエストランドよろしくスカした態度で観始めたのに、あれよあれよという間に物語に惹き込まれラストは号泣。特別や普通という言葉に縛られ、いつの間にか自分自身を定義してしまう窮屈な世界で「なぜ何かになりたがる?」と問い直し、クリスマスの煌めきを描きながら人の存在自体を肯定していくストーリーテリング、素晴らしかった。

 夜ご飯は、野菜炒めと豚肉。大島育宙の映画ベスト10のyoutubeをながら見しながら、明日からの網走遠征に向けて浴槽に湯を張る。シャワーだけで済ませることと、しっかりお風呂に入ることとの違い。生活を楽しむのか、作業として身体を洗うのかみたいな線引きがある。お風呂は生活。

 お風呂から上がり、Kindleあらゐけいいち「日常」がセールになっていたので10巻分購入。なんとなく画風が「よつばと」に似ている。明日の電車に揺られながらゆっくり読んでいきたい。